【表紙】【まえがき】






はじめに


信州信濃国の伊那谷に、大御食神社(おおみけじんじゃ)という、それは古いお宮があります。
美女ヶ森 大御食神社境内

御祭神は日本武尊(ヤマトタケノミコト)。

日本武尊の尊称を、『日本書紀』、『先代旧事本紀』では日本武尊、『古事記』では倭建命、またの名を日本童男・倭男具那命(やまとをぐな)ともいう。
『尾張国風土記』逸文と『古語拾遺』では日本武命、『常陸国風土記』では倭武天皇、『阿波国風土記』逸文では倭健天皇(または倭健天皇命)と言った。

坂上田村麻呂などによる蝦夷征伐には、徹底的な争いに及ぶ征伐の話が多いが、神社伝承や東日本のそこ此処に伝わる伝説から見ると、日本武尊の東征の伝説には多くの場合、吾妻の国の人々は争わずに帰順したという伝説が存在する。
大御食神社の社伝記でも、赤須の里で里人に歓迎を受けて三日三晩過ごしたと書かれている。

日本武尊が各地で歓迎された理由にはその出自に大きく関わっており、また大御食神社の社伝記に記されている古代文字(阿比留草文字)の秘密も、そこに原点があるのではないか?と思われる。

古代文字の阿比留草文字で書かれた社伝記からは、
・赤須の里の長・赤須彦は、高皇産霊神の直系・天思兼尊の末裔である。
・日本武尊は、『日根子』と呼ばれた。
・建御名方神は、天津御許の神である。
・etc. などが読み取れ、これらの内容にはすべてなぜ?という疑問符がついて廻る。
且つその疑問は次々と連鎖的に広がり、日本の古代史の謎を読み解くカードになる。

さあ!これからその謎解きに挑戦しよう!