【社伝記】古代文字・阿比留草文字で書かれた社伝記のこと


古事記及び日本書紀によると、それぞれ多少の相違はあるが、日本武尊の東征の帰路は相模国足柄山の笛吹峠~酒折宮~信濃国諏訪~伊那郡を通過し、阿智の御坂峠を越えて美濃・尾張に入ったと伝わる。

伊那郡には、小野・溝口・赤須等に、尊が休息されたという伝説が残る。

ここ、赤須の里の大御食神社には、通称「美女ヶ森昔時年代記」という記録が伝わる。そこには、日本武尊がこの地で三日三夜過ごしたことが書かれている。

古代文字で書かれた社伝記

一般には、解読した落合一平(直澄)が記した「美社神字解」と呼ばれているが、吾郷清彦氏「美しの杜物語」と題して全国に紹介した。


下記 口上書 には、社伝記を解読した経緯が書かれている。


美女ヶ森の神代文字に付き伊那懸廳へ差出せし口上書          

美女ヶ森大御食神社傳記の儀は、神主代々継目致し、登京帰宅の砌、三七日致潔斎、開封拝読仕候、然共異形の字体に候故、読者曾て無之、得聴明之人、可読明と申傳へ候処、天明二寅年八月二十二日夜、本書致焼失候へ共、幸に写本有之候而、今尚存在所持仕候
今般復古御一新の折節、明治二巳年正月、諸社由緒可書上御触有之候間、申傳而巳書上候処、同年四月中、将又傳記之御尋之有候間、致潔斎、五月八日社傳記入一覧候処、落合直澄(伊那懸大参事)殿、具に被為遊解読、縦往昔之傳説誠に明かに相成候而嬉々煌々難有奉拝読候、則奉神前且考古者の氏子にも為申聞候以上

明治三庚午年正月十日                                  
小町吾加賀           
吾 道 延 宣 (花押) 
伊那懸御役所