阿比留草文字で書かれた社伝記から古代日本語を謎解く

■ 日本武尊は、
【やまとたけのみこと】 と書かれています。

「やまとたける」 と読ませたのは、江戸の伴信友からです。
古代、「やまとたけ」と呼ばれていたことは、間違いありません。



■ 「迎える」 という語句は、変遷していると思われます。

通説では、 
「迎える」は口語。文語では「迎ふ」。
本来の活用は、「ハ行下二段活用」だった。
室町以後、長い期間を経て「下一段化」していったが、「ハ行」の場合は別の理由があり、一時的に「ヤ行下二段」を経由して現在の「ヤ行下一段活用」に至ったと考えられる。
・・とある。
だが文語と口語の区別は、いつ頃からあったのか?
また途中で「ハ行」の面影がなくなったということではなく、古くから『ゑ』が使われていたことから、ヤ行であったのだろうと推察することができる。
神代文字を異端視せずに、専門家の研究を期待するところです。


■ 「奉りき」 も古い使い方

【古事記】 仁徳朝記
「 朝夕、淡路島の寒水を汲みて大御水奉りき 



■ 「いまし」  【汝】  なんじ。あなた。 〔上代語〕二人称。

【万葉】 2517 に、
たらちねの母に障らばいたづらにいましも我(あれ)も事のなるべき

上代語であるが、平安時代にも漢文訓読語としては用いられた。
【日本書紀】の古訓によく用いられる語。


■ 「たそ」 だれだ。

【宇治拾遺】物語(巻十・九)122小槻当平の事に、
「たそ。この門たたくは」と言ひければ、 ・・・とある。




「ひと‐このかみ」 【魁帥・首長】 

【書紀】〔720〕神武即位前戊午年八月に、
「天皇兄猾と弟猾とを徴さ使む。〈猾、此をば宇介志と云ふ〉是の両人、菟田県の魁帥なり。〈魁帥、此をば比登誤廼伽彌(ヒトコノカミ)と云ふ ...




いくつかの語句を挙げてみましたが、残念ながら私はこの分野では門外漢です。
しかし、疑問がいくつか湧いてきます。

おそらく国語学者らは触れないでしょう。

しかし遠からず、竹内文書等の古代文字で書かれた古史古伝の信憑性が証明されることでしょう。