『美女ヶ森』 名称の由来を考える。


大御食神社のある鎮守の森を 古来から 『美女ヶ森』 といいます。

ではなぜ 『美女ヶ森』 なのか? その名称を考えてみます。

阿比留草文字で書かれた社伝記には、

「 応神天皇38年(307)6月9日 朝未だ暗きときに、上穂の里足彦の弟子『ヤオトリ』に 日本武尊(の霊)が懸かり、イツイラツヒメと共に草薙の剣の霊代を迎えよ と告げた 」

「 その秋7月20日、熱田ノ宮より草薙の剱の御霊代、また 『美しの杜と御名する 熱田ノ杜』 より、宮簀姫 またの名をイツイラツヒメ(厳色姫)を迎え奉る 」

と記されています。

社伝記 「美社神字」 を解読した 落合直澄は、イツイラツヒメを 「厳色姫」 と表しましたが、現在は 「五郎姫」 と記されています。

では、『宮簀姫 またの名を イツイラツヒメ』 と社伝記に書かれている 「イツいらつひめ」 とは どういう意味なのでしょうか?



沖縄の八重山地方には その昔、島の女性が愛する男性に “いつ(五)の世(四)までも どうか一緒に” との思いを込めた、五と四の柄が並ぶ 「ミンサー織」 という 「絣模様の織物」 があり、現在でも 伝統工芸として伝わっています。

ここから、「イツ」 は、いつも(何時も)という意味ではないか?
それに、上代には 若い女性を親しんで呼んだ語で、『いら‐つ‐め【郎女】: いらつひめ』 という言葉があります。

すなわち、「イツイラツヒメ」 とは、「いつも美しい若い姫」 という 「愛称」 であり、その姫がおわします熱田ノ杜を 「美しの杜と御名する 熱田ノ杜」 と呼んだのではないだろうかと思います。


大御食神社も宮簀姫をお迎えして、地名を 『美女ヶ森』 と呼ぶようになりました。



【参考】
『尾張国吾湯市群火上天神開始本伝』 には ”小止女命”(おとめのみこと)、
『熱田祠官略記』 には ”小止女命 またの名を宮簀姫” と記されている。
また 「ミヤスというのは、元来は 『宮主(みやす)』 であり、”神剣を祀る 宮の主” という意味である」 という。
【通説】
宮簀媛は 尾張国造 乎止与命(オトヨ)と 母 眞敷刀婢命(マシキトベ)との子。