「於介(おけ)や 於介(おけ)」を解釈する。


宮中の新嘗祭では、神楽舎で神楽歌を奏します。
そこに、「阿知女作法」於介 阿知女(おけあじめ)というものがあるそうです。
調べてみると、鶴岡八幡宮や、全国の神社でも歌われる神楽歌の一つだとありました。
本来は、神の降臨を喜び、神聖な雰囲気を作るためと思われる一種の呪文、とあります。

「神代文字で書かれた大御食(おおみけ)神社の社伝記」の最後に、「稲虫払い」のことが、神代文字で書かれています。
いわゆる、伝統芸能として各地に伝わる「笹踊り」のことです。


笹舞い踊り、童(わらべ)二十二人(はたまりふたり)手に笹の葉扇を持ち、踊り唄いて曰わく、 「稲虫ノ祟あらすな 御年神(みとしかみ)、白猪 白馬 鶏(かけ)ぞ奉らん。 また あな楽し ああれ楽しさ、田穀(たなつもの)畑つ種々、八束穂(やつかほ)に豊けく実り、あな楽し、ああれ楽しさ、天安国(あめやすくに) 平らけく 於介(おけ)や 於介(おけ)」。

・・・とあります。

前段の歌詞は、全国の笹舞い踊りに共通するものがあり、ホツマツタエの記述にも共通するものがあり、大変興味がありますが、それに倍して最後の部分の「於介(おけ)や 於介(おけ)」という言葉に注目させられました。


いろいろ調べていくと、宮中や、各地の神社で奏される神楽歌の「阿知女作法」 や神楽にありました。

【於介 阿知女(おけあじめ) ~ 於介(おけ)】 <神楽歌>

また、各地の<神楽歌>に、

いせじまや あまのとねらが たくほのけ 於介於介
たくほのけ いそらが崎に かをりあふ 於介於介  ー以下略ー

といったものがあり、次のような解説が ありました。

「 国々のいろいろな神社で、「 あちめ、おけ 」 という歌詞が 広く歌われていて、遠く離れた場所で 同じ囃し詞が発生している。 こうした例は、神楽の根本が 神の言葉であったことを 示している。」



一方、古史古伝の 『 ほつまつたゑ 』 でも、


 天晴(あは)れ あな面白(おもしろ)  
 あな楽し あなさやけ おけ さやけおけ  
 あわれ 面白 さやけおけ あな楽し  

と、【 おけ 】 が 語られています。

「やまとことば」で、おけ とは【可笑】= (心を)沸かせるさま、です。




さて、上記の記述から古事記の新しい解釈を試みたいと思います。

【原文】


手草結天香山之小竹葉而【訓小竹云佐佐】於天之石屋戸伏汚氣【此二字以音】而。

【訳文】

A) 天の香山の小竹(ササ)の葉を手草に結んで、天の石屋戸に汚氣(ウケ)伏せて、


B) 天の香山の小竹葉を手草に結ひて、天の岩屋戸に槽(うけ)伏せて踏み轟 こし


天宇受賣命が、天の岩屋の前で踊りを踊る場面ですが、【伏汚氣】を、「槽(うけ)又は桶伏せて」としていますが、【伏汚氣】とは、オオ~と声を発して降臨を告げる様子ではないか、と考えます。



於天之石屋戸伏汚氣【此二字以音】而。

【訳文】


天の石屋戸に神を呼び、


伏汚氣=ふおけ=オーと声を発し
ふす:放つ。発す。起る/起す。
於介=可笑:(心を)沸かせるさま。=神の降臨を告げる様子、降神の声